教育No.889
先日から引き続いて、以前の某私立大学『教育』を読む会に参加する際に作成したレジュメを公開します。
皆様からのご意見、お待ちしております。
『教育』No.888②
昨日は、特集2について、自分の書いたものを補足していきました。
今日は、特集1について、以前に某私立大学『教育』を読む会で作成していたレジュメ(一部変更)を共有させていただきます。
https://drive.google.com/open?id=1LIp2G4dAj392N-pf7rDpwaidetq4lKe5
某私立大学に来なかった方とも、意見交換ができればうれしいです。今後も、私が作成したレジュメ等につきましては、このブログで共有したいと思います。
『教育』No.888①
2020年1月号に「それでも<教師>になりたい」というタイトルで教師についてエッセイを書きました。
今更ですが、「教育」を読む会や、友達の感想等を踏まえて、私が伝えたかったことをここにまとめます。
結局、<教師>とは?
今回、あえて<>を使って、私が考える教師像を<教師>と表現しました。
私自身、今のところ、実際に学校で働くつもりはありません。
しかし、中学校のときの担任の先生のような大人になりたい、そういった意味で人間観としての<教師>を考えました。
人の軸というものに置き換えることもできると思いますが、多くの人に「本当に教師になりたいですか?」と問いたかったのです。
逆に、教師になっても、それが単なる仕事ではなくて、自分の目指した教師像に近付いているのか、ということが大事だと思います。
そして、私が考える<教師>とは、「その人が安心して成長できる場とつながりを提供し、成長できる機会をつくっていく存在」であると結論付けました。
言い換えれば、
安心して成長できる場とつながりを提供・・・ケア
成長できる場をつくる・・・指導
この両面を兼ね備えた人間に、私はなりたいのです。
ケアと指導の同時充足
そして、いい言葉が見つからず、うまく話せなかったこのことについて論じていきたいです。
文中では、SKET DANCEという漫画の主人公の台詞を引用しました。
(人助けとは)
「理解者になる事。〔…〕その人が今いる位置を認めて愛しいと思えるように背中を押す事」
そして、これが成長する意欲になると補足していました。
実際の漫画の話では、二字熟語(左様、無論など)でしか話せない、話すと小声になる、など、個性豊かなキャラが、主人公に変わりたいと相談してくることがあります。
そのなかで、結局、あまり変わらなかったというオチになります。
しかし、これはギャグマンガとしては“オチ”になりますが、そのキャラに感情移入すると、ありのままを主人公が認めてくれて、そのうえで「成長したい」という気持ちも受け入れてくれている、安心して成長できる場とつながりを獲得した瞬間なのです。
そのキャラはきっと、自分なりに変わっていくスタート地点に立ったのです。
大切なのは、主人公は「変わらなくてもいい」と思っている一方、変わろうとする努力を全力でサポートします。つまり、成長できる場をつくろうとしています。
最後に
勝手なイメージですが、世の中の教師って、このどちらかが強い印象です。いえ、教師だけではないでしょう。
「いいじゃん、今のままで。」
それが当人にとっては投げやりな言葉や見放されたように感じることもあります。
「今のままじゃダメじゃない。」
それが、今の自分を認められない呪いの言葉になっているかもしれません。
変わらないといけない、それはきっと本人が一番感じているのです。
でも、今の自分を肯定的に認めてもらえる瞬間が足りていないこともしばしばです。
大切なことは「今のままでいいと思う。でも変わりたいんだよね。一緒に頑張ろう。」という一言を伝えられるか、そして実際に行動に移せるか、ということではないでしょうか。
仮面ライダーゼロワン×「夢」を哲学② 迅は或人と同じ世界を志すか(或人・迅・天津の夢)
仮面ライダーゼロワン(飛電或人)「人間とヒューマギアが笑える世界」
飛電或人は、ヒューマギアの父親に育てられたという過去があります。
ヒューマギアは、データのバックアップさえあればいくらでも復活するという世界観のなかで、或人は、そのデータが消えたら人が死んだのと同じなのだ(彼自身の言葉は「ヒューマギアにも心がある」)と考えています。
この辺は、ドラえもんを道具と思うか、友達と思うか。という話と似ています。
ちなみに、ここで飛電或人は、ヒューマギアに命があるとは言いません。
ヒューマギアが他の道具と違うのは、命ではなく、心の有無であり、だから人と同じくらい大切にしたいということが彼の考えでしょう。
彼にとっては人間が大切にされるのも心があるからであり、単に命が守られるだけでなく、笑っていてほしい(その心を守りたい)と思っているように見えます。
だからこそ、彼はお笑い芸人を目指していましたし、社長になってからも、「人間とヒューマギアがともに笑う」ことを目指しています。
この辺の一貫性、さらに人間もヒューマギアも、どちらのことも考えている点で、実はかなり考えられた夢を語っていることがわかります。
しかも、この目標が達成されたとき、多くの人が得をします。彼は、社会に貢献しようとする意志を持っています。
夢と言っても、自分さえよければいいという夢は、周りから応援されません。
何かしらの目標がある人は、彼のように
目標が
①社会に貢献するものか
②自分(たち)以外の立場も考慮しているか
③一貫性があるか
といったことまで考えて、深めていけるといいかもしれません。
仮面ライダー迅(迅)「ヒューマギアの解放」
ヒューマギア迅の夢は、「ヒューマギアの解放」です。
ヒューマギアは、人工知能と接続して活動しています。物語を見るとわかりますが、ヒューマギアは「アーク」「ゼア」という2つの人工知能と接続しています。
ヒューマギアの解放とは、ヒューマギアが自らの意思で活動できるようになり(作中では「シンギュラリティに達する」と言われる)、「アーク」「ゼア」とも接続しない状態のことです。
迅の夢は、或人と違ってヒューマギアに寄っています。
彼自身がヒューマギアなのもありますが、実際に人間がヒューマギアを廃棄し始めたのを見て、「人間はヒューマギアを滅ぼす」存在だと思っているからです。
この点で、或人とは違った事実を根拠にして考えているのがわかります。
そしてタイトルの、迅は或人と同じ世界を志すか、ということについて。
迅はまだ人間をどうするか決めていないというのが自分の考えです。
人類滅亡は、本来「アーク」の導いた回答であり、「アーク」と接続していない今の迅は、人類について答えを出すほど思考できていないのではないでしょうか(判断材料も少ない)。
つまり、或人のときに提示した②自分(たち)以外の立場について、まだ思考できていないのです。
少なくとも迅は、まだヒューマギアのことしか考えられていません。
それは、人間がヒューマギアに与える影響をすべて考慮していない点から見ても、ヒューマギアのことを100%考えているわけではありません。
(夢を考える上では、複数の視点に立つこと自体が①の条件を満たすために必要ですし、また自分(たち)のことをすべて考えるには、影響を与える別の立場の人たちのことも考える必要があります。視点が自分のなかに留まっている限り、その夢は独りよがりなままです。)
彼が、或人と関わり、その結果、人類とヒューマギアの世界をどのように変えていこうとするのか。ヒューマギアの解放のためには、「人類は不要」だと結論付けるのか、それとも人類に対して何かを望むのか。それが今後の注目したいポイントの一つです。
→こちらもチェック!
仮面ライダーゼロワン31話感想 - kamenridernaruse’s diary
仮面ライダーサウザー(天津垓)「ヒューマギアの廃棄」
彼は、徹底してヒューマギアを否定します。
その過去に何があるのか、まだ語られていませんが、彼自身は技術革命によって、人間が人工知能以上の知能を手に入れられると考えていることはわかっています。
この考えは、或人・迅とは対立するものです。迅がどのような結論を出すにしろ、或人と迅は、天津と対立することになります。
今、AIに仕事が奪われるかも、という話が出ている中で、彼は人間が生き残る技術を開発しようとしています。
(やばいのはこれらの技術を軍事利用しようとしていることや他人を道具扱いすることですが、これはまた機会があれば議論したいです)
天津垓と或人・迅の対決、今後も目が離せません。また、天津垓が、なぜヒューマギアを否定するのか、そういった過去が明らかになると、視聴者の考えも変わるかもしれません。
夢をかなえる上で
やはり卑怯な手は許せないという方もいるでしょう。
また、仮面ライダーゼロワンの世界に関して言えば、ヒューマギアと人間、どちらかが滅ぼされるやり方は正しいのでしょうか。
この辺について、さらに考えます。
或人・迅・天津、それぞれの目標。それ自体は、それぞれの考えとして尊重されるべきものです。
ただし、これがまるで「正義」であるかのように語ってはいけないと思うのです。
先ほどは①社会に貢献するものか考えようと言いました。
しかし、考えた結果は、あくまで自分がこれなら社会に貢献できそうというだけで、それは社会的に“正しい”ものであるということは言えません。
天津垓の主張の良くない点は、彼は一方的に自分が正しいと思い込み、他者を間違っていると決めつけている点です。
人間誰しも間違うかもしれません。そのときに、自分の考えを修正できるということが生きていくうえで必要ではないでしょうか。
そして、それが仮にどんなに正しかろうと、手段は正当化されることはありません。
結果論として、ヒューマギアが人間社会に不要で(自分に正義が)あったとしても、ヒューマギア(悪)を卑怯な手で排除することは到底許されない。それが少なくとも仮面ライダーのなかで描かれる正義の一つです。
(KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT キット「結果は手段を正当化しない」
仮面ライダードライブ チェイス「仮面ライダーとロイミュード。互いに闘うしかないとしても、ブレン、お前たちのやり方はあまりに醜い。」)
最後に、人間とヒューマギア、どちらかが滅ぶようなやり方はやはり認められるべきではありません。
※仮面ライダーゼロワンを見ていない方は、ヒューマギアをAIやロボットと置き換えて読んでみてください。
人間が滅びるのを受け入れる人はいないでしょう。
では、ヒューマギアについてはどうでしょう。
私はあくまで、飛電或人の考えを推しています。人間の側に立って考えたとき、ヒューマギアが消防や医療に役立つ存在だからです。
夢物語ですが、ヒューマギアがいれば、いま騒動になっているCOVID-19の問題も解決できます。ヒューマギア(機械)は、ウイルスに感染しないからです(違うウイルスには感染するけれど)。
人に任せられないこと、でも人じゃないとできなかったこと。ヒューマギアは、きっと、誰かがやらないといけなかったことを代わってくれます。
お仕事5番勝負(人間とヒューマギアの対決)で見えたのは、どんなことにヒューマギアが役に立つのかということではないでしょうか。
ヒューマギアを無条件に使役するのは、人間の可能性を見ないことになりますし、廃棄するのはヒューマギアの可能性を見ないことになります。
人間とヒューマギアが共存するためには、互いにできることを見定める必要がありそうです。もし私たちがあの世界に生きているなら、5番勝負の内容をしっかりと考察する必要があります。
では、ヒューマギアの視点に立つとどうでしょう。
確かに人間が道具として生み出したのかもしれません。
しかし、彼らは自我を持っています。それが一時期、暴走の原因となっていましたが、その暴走を止められるようになった以上、自我をもった存在を消すことに熟慮が必要なのは間違いありません。
ともかく、仮面ライダーゼロワン、飛電或人・迅・天津垓の対立に注目です。
(仮面ライダーゼロワンを見ていない人も、なんとなく「夢」について考えてもらえたら嬉しいです。ご意見・感想、お待ちしています。)
仮面ライダーゼロワン31話感想
そういえば、やっぱり不破さんが刃のストーカーになってましたね…。
刃は「一人で生きていけるほど甘くない」と弱気な姿を見せました。しかし、その弱い部分に気付かない不破さん。ついでにアサルトウルフも奪われましたが気づきません。
刃が不破さんに本気の夢を語るのはまだまだ先のようです。
(不破さんは、押してダメなら引いてみろ、ができそうな感じもしないし、刃さん相手には特にそうしないだろうけれど。どういう風に、刃さんの本気を聞き出すのでしょうか。)
さて、それはさておき
迅が、飛電或人のやり方に理解を示しましたね。
ヒューマギアの解放。しかし、実際は単に「アーク」「ゼア」という人工知能からの切り離しではうまくいかず、ヒューマギアが自分で判断できるようになる必要があります。(でないと、行動できなくなるから)
しかも、そこまで人工知能が成長するためには、本来「アーク」「ゼア」に繋がっている必要があったようです。
そのうえで、ヒューマギアが自分で行動するためには、他者(アーク、ゼア)ではなく、自分で行動目的を決めないといけません。その行動目的こそ、「夢」です。
(仮面ライダーゼロワンにおける「夢」の考察をまとめています。
仮面ライダーゼロワン×「夢」を哲学① ゼロワンにおける「夢」 - kamenridernaruse’s diary
こちらもぜひ。)
或人は、ヒューマギアに夢を見つけさせ、自立できるよう支援する。それを迅に示しました。
結果的に、迅は
「お前がいう夢ってやつに、友達の未来を賭けてみるのも悪くないかもしれない。」
不破さんに次いで、夢の可能性をラーニングした迅は、少なくともヒューマギアの解放にかんして、或人と協力していくことになるでしょう。
ただし、ヒューマギアの解放が達成されたとき、迅は人類にどのような考えを抱くのか、それはまだわかりませんね。
仮面ライダーゼロワン×「夢」を哲学① ゼロワンにおける「夢」
仮面ライダーゼロワンとは
www.tv-asahi.co.jp
人工知能搭載人型ロボット「ヒューマギア(飛電インテリジェンスが開発)」が人間の仕事を手伝う世界で、ヒューマギアを悪用しようと企む者がいた。
それに気づいた先代社長は、飛電或人を社長に指名し、指名された或人は仮面ライダーゼロワンとして、ヒューマギアと人類を守るために闘いを始めた。
第1章では、滅亡迅雷net.というヒューマギアを暴走させて人類の滅亡を狙う組織に、仮面ライダーゼロワンと対人工知能特務機関A.I.M.S.に所属する仮面ライダーバルカン・バルキリーが立ち向かう。戦いの果てに、仮面ライダーは滅亡迅雷net.を壊滅させる。
続く第2章では、滅亡迅雷net.に指示を出していた人工知能「アーク」に、人間の悪意を学ばせていたZAIA社長天津垓が、ヒューマギアの価値はないと人々に示すために、ヒューマギアと人間のお仕事5番勝負を行う。その間、滅亡迅雷net.に所属していたヒューマギア、滅と迅は復活。5番勝負も人間が勝利し、ZAIAは飛電インテリジェンスを買収する。
そして、飛電インテリジェンス社長でなくなった飛電或人は、自分の夢を諦めず新たな戦いを始めようとしていた。
各仮面ライダーの「夢」
人工知能がテーマの仮面ライダーゼロワン。その裏テーマは「夢」だと思います。
この場合の夢は、もちろん寝ているときに見るものではなく、生きる上での目的・目標みたいなものですね。
そんな仮面ライダーゼロワンを扱いながら、「夢」について考えてみます。
各ライダーの夢・現在の目標をまとめると以下のようになります。
・仮面ライダーゼロワン(飛電或人)「人間とヒューマギアが笑える世界」
・仮面ライダーバルカン(不破諫)「いつか見つけてやるよ」「ZAIAをぶっつぶす」
・仮面ライダー滅(滅)「アークの意志のままに」
・仮面ライダー迅(迅)「ヒューマギアの解放」
或人と迅には、共通して、ヒューマギアが自分の意思で活動すること、という目標があります。
不破さんと滅には夢がなく、天津にはヒューマギアを根絶やしにする目標があるように見えます。
一方、刃には夢があるけれど、それを語れないという描かれ方ですね。
構図を整理すると、
夢を持つ青年 夢を笑う大人
夢の無い大人 V.S. 夢を諦める大人
(或人、迅) (天津、刃)
(不破、滅)
※青年・大人にはヒューマギア含む
今後の考察テーマ
これから考えたいことは、
①迅は或人と同じ世界を志すか(或人・迅・天津の夢)
②刃は夢を語れるか(刃の夢の予想と不破との関係)
③滅は夢を語るのか(そもそも夢は大切か)
このあたりのテーマについて語っていきます。この内容は、仮面ライダーゼロワンを知らない人でも一緒に考えられることだと思っています。読んだ感想・意見をお待ちしています。
仮面ライダーゼロワン29・30話感想 不破さんストーカーになるってよ
仮面ライダー01 29話感想
29話は、第2章完結、ランペイジバルカン初登場の会でした。
お仕事5番勝負は天津垓の勝利。どこまでも視聴者の心が晴れない展開でしたが、不破さんが視聴者の代わりに? 天津社長に怒りをぶつけてくれました。
「いつか見つけてやるよ。俺が俺であるために。俺の夢を!」
“ランペイジバレット!”
「そのために、俺は戦う! 俺のルールで!」
「変身!」
しびれますね。ランペイジスピードブラスト(サンダー・ダッシュ・ウィング)で天津社長(仮面ライダーサウザー)を退けます。
その後、刃との一騎打ち。
「お前が本気の夢を語るまで、俺はお前を認めない。お前がお前であるために。俺はお前をぶっつぶす!」
“01、01…”
ランペイジパワーブラスト(パワー・プレス・ファング)で刃(ファイティングジャッカルレイダー)を吹き飛ばし、最後は、2人に対しランペイジオールブラスト。
とにかく、不破さんがかっこいい。ちなみに、不破さんを演じる岡田龍太郎さんはご自身のYouTubeチャンネルで弾き語りもされています。29話放送後に、29話の不破と刃を表現するような素晴らしい歌を選曲していました。ぜひ聴いてみてほしいです。
仮面ライダー01 30話感想
第3章開幕、或人復活。迅との共闘。見どころがたくさんありました。
個人的に驚いたのは、ゼロワンの変身条件が思ったより厳しかったことです。
第1話を見たときは、社長じゃないとベルトをもらえないくらいの意味だと思っていましたが。実際は使用の条件も社長であることでしたね。
ただ、イズが新たな会社「飛電製作所」を設立、社長の条件を満たして変身し、仮面ライダーサウザーに勝利。
実は、ヒューマギアもゼロワンのシステムも或人が相続していて、飛電インテリジェンスを奪われても、彼の夢は終わっていなかったのです。やっと、天津垓の思い通りにならないスカッとした展開でした。
惜しかったのは、或人の変身までの期間が短かったこと。
もっとためにためて変身した方がかっこよかったと思っています。
それこそ、最終フォーム(メタルクラスタホッパーよりも上のものがあるなら)に繋げてもよかったのになと。
逆に、1話で再び社長になるならここまでが2章でもよかったですね。仮面ライダードライブを見返していましたが、仁良課長を逮捕したときのような爽快感が、今のゼロワンには足りないのかもしれません。
もちろん、不破さんがメインの章として、29話の最後が良かったのも事実です。
このままでいいのか、不破さん
最後に、29話と30話で地味に気になったこと。
A.I.M.Sを辞めた不破さん、代わりに戻った刃。どう考えても、ヒューマギアを破壊しようとする刃を、無線を傍受して阻止する不破さんという構図になりそうです。刃の行くところに現れる不破。これって、ストーカー…?
それはさておき、不破さんは刃に対して夢を語ることを頑なに求めます。ただし、刃の「自分の意思」という言葉は無視されています。
刃の想いや優しさを誰も受け止めていません。刃は自分の意思でZAIAに入って、仮面ライダーになったはずです。そして、イズを破壊しようとしたのも彼女自身の意思です。
「お前がやらないなら、私がやる!」
彼女は結構、不破さんのことを心配しています。29話で不破さんが操られるのに抵抗したときも。
彼女にとってヒューマギアは道具です。道具のために命を捨てる必要はない、だから不破さんが苦しむくらいなら、自分がイズを破壊すればいい、それが彼女の優しさであり、想いではないでしょうか。
その部分をまるっきり排除して、彼女自身が苦悩する“間違っている”ことだけを指摘するのは、男としてどうでしょう。
「俺を想ってくれてありがとう」くらいの自惚れを不破さんには持っていてほしいです。