仮面ライダーゼロワン×「夢」を哲学④ 滅亡迅雷net.の今後
急遽ヒューマギアの夢についても触れていくことにしました。
最後の総まとめのために必要なのと、語れるくらい内容が濃いと判断したからです。
気になるところを読んでみてください。
ヒューマギアたちの夢
ジーペン「僕が考えた漫画を描いてみたい」
ヒューマギア、ジーペンは「僕が考えた漫画を描いてみたい」という夢を語りました。
そして、彼を雇っている石黒先生(漫画家)は「彼に描かせてみたい」という夢を持っています。
ジーペンはもともと漫画家である石黒先生がアシスタントとして雇ったヒューマギア。
当初の石黒先生は自分で描かず、ヒューマギアに全ての作業を任せていたが、或人と交流し改心。昔のように情熱をもって自分で描くように。その後、作中では書かれないが、機能停止するまでの間、ジーペンは先生のアシスタントとして漫画を描いたりアイデアを提供したりしていた。
子どもが将来「漫画家になりたい!」と言うのと同じような雰囲気を感じます。
しかし、一方で、実際に働いてから自分の漫画も描きたいと思っている点で、子どもの夢とは違います。
日本のキャリア教育では、職場体験学習(2日くらいの短いもの)やインターンシップが中心で、実はそんなに職業のことを知らずに夢を語らせます。
ただ、ジーペンのように、アシスタントとして働くようになってから自分のやりたいことが見えてくるのが自然な順番な気がします。わからないものを語れと言う方が、無理があります。
また、実際に働いて実力を見出されているからこそ、ジーペンには支えてくれる人も、能力発揮の機会も用意されました。子どもが夢を語るとき、人脈が無かったり、残念ながら実力が追い付かないこともあります。
ジーペンは恵まれていて、それを勝ち取ったのは彼自身の努力です。働いて、得たものです。
失敗するかもしれなくても、最初は自発的でなくても、まずは活動してみることで活路が開ける、そんなことこそキャリア教育では伝えるべきなのかもしれません。
デルモ 「東京ファッションコレクションでのランウェイを今年も歩くこと」「そして、私自身を表現する」
ヒューマギア、デルモの夢は「東京ファッションコレクションでのランウェイを今年も歩くこと」「そして、私自身を表現する」ことです。
デルモは、モデル型ヒューマギア。SNSのフォロワーも50万人を超える人気モデルであったが、一時機能停止。32話で再起動する。自我が芽生えていて、感情豊かなうえに、自分の存在(ヒューマギアであること、モデルであること)に誇りを持っている。
この、“私自身”という言葉には、ヒューマギアであること、モデルであることを含んだアイデンティティの確立を感じます。
自分が自分らしくあるために、それを表現するためにモデルを続けているように思います。
ジーペンの夢と比べると、少し大人びている気がしませんか?
ヒューマギアとして自我が芽生える(シンギュラリティに達する)タイミングの違いが感じられます。
つまり、ジーペンは自我が芽生えたばかりの子どもなのです。(ロボットなので仕事もできるし見た目も大人ではあるが。)一方のデルモは、少なくとも大学生以上の年齢くらいまで成長していると考えられます。
自分の存在や夢について考えている時間が異なっています。より深く考えている分、デルモの夢からは、目標の理由を掘り下げた“目的”も言葉にされています。
あくまで、彼女の目的は「自分を表現すること」です。ジーペンはまだ、なぜ自分が漫画を描きたいのか、ということまで言及していません。
同じように夢をもったヒューマギアでも、この2人には決定的な違いがあります。
ヒューマギア亡「ヒューマギアの夢を叶えたい」「夢を見つけたい」
亡は、ヒューマギアですが、すでにその身体は破壊され、データのみが不破さんの中に残っています。
天津社長の「道具」として働いてきたヒューマギアでしたが、32話で反旗を翻しました。
kamenridernaruse.hatenablog.jp
これは展開としても、考察するにも面白いです。
デルモ、ジーペンと違って、夢を見つけていないけれど自分の意思を手に入れました。実はイズも同様で、夢を見つけてはいません。
これは、夢を見つける以外にも、ヒューマギアに自我が芽生える可能性を示しています。
イズは或人を、亡はヒューマギアを支えるという決断をしています。
また、亡は不破さんと同様に、いつかは夢を見つけるというつもりで今を自分らしく生きようとしています。
亡は、イズの支えるという気持ちと、不破さんの夢を見つけようという意思と重なる存在です。
ちなみに、誰かの夢を支えたい、守りたいっていうことが夢な人もいれば、これから夢になることもあるかもしれません。
ちなみに、ヒューマギア:ラブチャンは、「グランドスラムを目指す選手を支える、世界一のコーチになる」という夢を見つけました。誰かを支えるということが一つのアイデンティティであれば、彼は単にコーチ(型ヒューマギア)として夢を語るのではなく、心の底から夢を語っていることになります。
そういった意味で、亡の夢も、本編のなかで見つかるかもしれません。
仮面ライダー滅(滅)「アークの意志のままに」
そして、滅亡迅雷net.でまだ取り上げていなかった滅の話をします。
滅は、仮面ライダー滅に変身するヒューマギアです。
そもそも滅亡迅雷net.は、人間を滅ぼすことを目的としてヒューマギアを戦力としてコントロールしようとしました。それはすべてアークの導き出した答えでした。
滅は「アークの意志のままに」と言って、一度は迅の身代わりになって活動停止します。
今は、再起動していますが、相変わらず「アークの意志のままに」動いています。そのため、夢はないのでしょうが、不破さんや亡とも違った立ち位置にいます。
そうなると、滅には自分の意思がないのかと気になります。
個人的には、滅はシンギュラリティに達している(自分の意思はある)のではないかと思います。
まず、そのように考えたきっかけは、迅が滅には「夢を見つけよう」とは語らないからです。
迅にとって「滅は自分の意思で動いている」と見えているのではないでしょうか。
このように考えたうえで滅について振り返ると、滅には迷いがないことがわかります。
純粋無垢な迅が「滅が言うなら」「アークが言うなら」と従っていたのとは違い、アークが合理的な決断をしていると、その内容を理解した上で従っているということです。
これは、迅の身代わりになったときも、迅をそもそも育てていたことも、その理由を説明できていることからわかります。
反対に迅は、或人と対決したときに、人間を滅ぼす目的について「知らないよ」と答えています。
また、不破さんとの会話から、アークに人間の悪意を学習させたのが天津だと知ると、珍しく怒りを見せました。
人間に近い感情を持っているということがわかったシーンです。というか、このときアークとの接続は切れていますから、相当自発的に行動できることが分かります。
滅からすると、これ以降、アークの意志を聞く必要はないはずです。そもそものアークのラーニングが誤っているのですから。
しかし、その後も滅はアークの意志のままに動きます。滅にとってのアークは、ヒューマギアの行動を決めるだけの能力をもった人工知能です。
(アークかゼアに接続していなければ、ヒューマギアは自分の意思で動けないと迅に指摘したのは滅びです)
自分で動くことが可能なはずの滅は、ヒューマギアはアークに接続すべきだと考えています。
これはつまり、滅は、自身は「合理的な行動選択に関し、アークに頼る」と決めていて(人類滅亡は滅自身の目標)、ヒューマギアは「自分の意思も持たず行動も決められないからアークに接続するべき」と考えていると受け取れないでしょうか。
滅は人類滅亡のために、アークの決定こそ最も合理的だと思っている。そして、すべてのヒューマギアは、アークに接続することでしか生き残れない。だからこそ、滅亡迅雷net.は必要。あくまで予想ですから、滅がどうするのか、34話が楽しみです。
最後に、滅の「夢」について考えたいと思います。
私は、滅は夢をもたない存在としてあり続けてほしいと考えていました。
子どもが観る仮面ライダーにおいて、「夢」こそが大事という安易な世界観であってほしくないからです。
「夢」を持たなくったっていいでしょう。そう言えるキャラがいてくれないと、夢を必要ないと思っている人や、持っていない人が排除されてしまいます。
学校で、夢を発表する。そんな課題が出たとき、夢を語れない人は、どうなるでしょう。課題ができない劣等感を抱くのでしょうか、課題ができないことで周りから非難されるでしょうか。
滅のような人は多いと思います。
会社の上司に従う人。
自分の目的がないときは、亡のように誰かの夢を支えたいと思うかもしれません。
しかし、仮に目的があっても、それを達成する手段がわからないとき、もっといい手段があるとき、それを持つ人の意思のままに動くこと、これは夢と同じくらい立派な決断ではないでしょうか。
しかし、刃が夢を持たないキャラとして描かれるようなので、滅も何らかの夢を語るのかもしれません。
いや、すでに滅が自分の意思で動いていることを示してきましたから、彼自身にはやはり目標や目的(夢)があると思います。
「滅の生きる道」。この言葉の意味するものは…?